エッセイ7「タマとオクタマその1」3
ものすごい量の生産と、ものすごいスピードの物流に支えられ、家や住むことまでもが商品となった街の風景である。
小田急線の車窓から見渡すと、新しく駅ビルがたち、商店街に新しい店がオープンし、高校生の当時にはなかったマンションが立ち並んでいるし、
また高校生当時のままの建物もある。
確かに20年も経過すると都市の様相は一変する。
だがしかし、私の中の小田急線からの車窓からの風景に対する違和感は、風景自体が変わったことに起因する、ということではない。
どうやら風景が発信する意味が変わったのである。
高校生の私には小田急線の車窓からの風景は、目に映るままただ見ていて流れるまま、その意味が読み取れなかった。
風景をそのまま目に映る風景として受け取るしかなかった。
しかし、「つち」の感覚でもってみると、東京の風景に何か違和感を覚える。
・東京の風景
東京の風景、つまり街並は美しいといえるであろうか?
残念なことではあるが、決して美しいとは言えないだろう。
日本の農村を旅すれば、また海外の街を旅すれば、だれもが東京の街は未整理で雑然としていて、見ていて心地の良いものではないと感じる。
意図して見苦しくしたわけではないのに、結果として醜くなってしまったと言う他ない。
土地や建物が個人所有するという制度においては、どんな建築物をたてようとも法規にしたがってさえいれば、自由であるという現在の制度が産み落とした
奇怪な風景だということもできよう。
一方で確かに、そのような建築を制限する主体のない制度の結果として生まれた「派手なネオンサイン、毒々しい看板に埋め尽くされた歌舞伎町」に
代表されるような風景は、情報を提供するサービス業、すべてが商品となりうる生産と、消費をうみだす広告という資本主義のひとつの極地、
近代がたどりついた一つの形であり、それはヴェンチューリがラスベガスという「俗悪な都市」を肯定的に語ったように、むしろ都市が求める需要そのままに、
大量消費社会に対応していったひとつの「ヴァナキュラー」な姿なのかもしれない。