エッセイ3「別嬪さん1」
「茅って何ですか?」
私にとっての茅葺き屋根はそこから始まった。
まったく不勉強な質問にも関わらず、初めて会っていただいたときに、茅葺屋の塩澤氏は答えてくれた。
「ススキだよ。」
意外にも馴染みある植物名でわたしはあぜんとした。
ススキってあのススキ?わたしは、すっかり「茅」という植物があると思いこんでいたのだ。
私が面食らっていると、塩澤氏は丁寧に説明してくれた。
「茅というのは、屋根に葺かれるあらゆる草、植物の総称なんだよ。」
実は、ススキも茅。ヨシも茅。稲藁も茅。笹も茅。麦わらも、コガヤ(稚茅)もすべて茅。
ありとあらゆる屋根に葺かれる植物は茅と呼ばれているという。
塩澤氏はこう加えた。
この茅というカテゴリーには、人間が草と対面し、格闘してきた歴史的な連続性が含まれていると。
たとえば、「この草は束にしたら水に強いだろうか。」と遠い祖先は、より耐久性のある屋根をめざして様々な草を「茅」として選択してきたはずだ。
歴史の中で、「茅」と選ばれずに脱落していった草もあろう。
先人たちの幾多の実験と失敗の土台に基づき、ようやく現在の「茅」としてのカテゴリーが出来上がってきたのである。
そのなかで、もっともポピュラーで普及した茅がススキなのだ。
ススキは「山茅(やまがや)」と言われるように、里に自生し、山に群生している。
やせた土地であるほど芯の強いものが生えるという特徴を持ち、現在でも高速道路の脇を賑わせ、更地にした地面にまず生えるのはススキである。
栽培、管理の必要もなく、亜熱帯から亜寒帯という気候的激変にも耐え、どんな土壌にも適応する。
なんとも生命力旺盛なイネ科のこの植物は、さらにガラス質を含むために水に強い。
人間はこんな便利な植物を使わない訳はない。日本における茅葺き屋根の7割はこのススキを葺いたものである。
ススキは万葉集の歌にも詠み込まれ、秋の七草にも数えられ、その穂が日の光に、また月の光に明滅する姿は、日本の美しさの象徴的光景でもあった。
ススキやかつて「茅」として、全国的に価値があり、意味があった。
茅は「茅場」として村落の共有財産となり、入会地として人々に毎年刈り取られ屋根裏に貯められていた。
近代化以前、共同体としての村落が機能していた時代において、まさに、生活の中にいつも茅があった。
そして文字通り茅のすぐそこに生活があった。農民たちにとって生きるということは、茅をいかに利用し、いかに向き合うかということであった。
茅葺き屋根とは、農民たちの生活のなかに一体化されたものであるとともに、悠久のときをともに歩み発達し、まさにシェコの村でわたしが感じた「身体化された歴史」そのものであったはずだ。
わたしが修行を始めた茅葺きは、そんな農民技術の集大成であることを発見し、驚く過程でもあった。まずはじめに驚いたことは、茅葺き屋根を支える骨組みの構造が、いわば木と竹をワラ縄によって編まれた巨大なカゴのようなものであったことだ。