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エッセイ2「仕事を盗む1」

茅葺き職人を目指すということは、私にとって二重にも、三重にもハンディを負っていた。

そのことは、山城萱葺屋根工事(現:山城萱葺株式会社)で働き始め、すぐに明らかになった。

まず、第一に私には茅葺き屋根の知識はおろか、建築学的土壌が全くなかった。

「垂木」「屋中」など、屋根の基礎的な構造に関わる名称すら全く分からなかったのだ。

つまり、これは構造物、立体物の仕事に関わるセンスが全くないということである。

ひどいことに、立体物に関わることなど自体、小学生のときによく遊んだレゴブロック以来である。

そして、「茅」と一口にいってもその種類や、用途などが全く分からなかった。

センチやメートルで生きてきたものに、尺や寸がなかなか馴染まなかった。

無論それまでバイトも含めて「現場仕事」の経験などなかった。

先輩への接し方、施主さんへの態度など、この世界における「常識」や「ルール」を一から学ばなくてはならなかった。

これでは、親方と仕事についての会話に全くついていけない。

先輩たちの屋根に関する相談の輪にも入ることができない。

ただ、私は指をくわえて見て聞いているしかないのだ。いま何回「なかった」「できない」といっただろう。

わたしは仕事を初めてすぐに、茅葺き屋根の仕事は、自分に「足りないモノづくし」だと愕然とし、焦り、憤慨し、困惑した。

加えて仕事を始めた当初、決定的に足りないことは、体力であった。

小学校から続けた野球を高校でリタイアし、バットをギターに持ちかえてからというもの、運動などとは無縁の生活を送って来た。

お酒も好きだった。タバコも好きだった。

学生も8年間おくった。怠惰だった。東京にいた頃は、ノイズユニットをくんで夜の青山でライブもした。

沖縄にもいって野外イベントにも参加した。

渋谷の宇田川町の奥でバーテンまがいの訳の分からない仕事もした。

夜が中心だった。京都に来た後も、夜に生活していた。たるみきった体と、惰性の習慣で、急に始めた昼の肉体仕事についていくはずもなかった。

茅葺きを初めて3ヶ月、一日働きへとへとになって帰宅後、食事→風呂→寝るという毎日であった。

 

この幾多のハンディをいち早く埋めなくてはならない。

私が心がけていたことは、仕事がおわり帰宅後メモをとることであった。

文化人類学を学び、フィールドワークを行った経験を生かし、新しく覚えたことと、失敗したことを数行でもよいのでメモをとるようにしておいた。

シェコの村でもアドマスやマムシ少年から得られた重要な情報はすべてその日のうちにメモしていた。

またそうすることで、そのとき抱いた気持ちや、なぜ大事だと思ったのかという問題意識を、数行のメモや、たった二言の言葉にすら込められることを経験的に知っていた。

身体で経験したことを、ペンに込めていく。

文字が単なる情報ではなく、生き生きとした身体の記憶の塊になり、紙の上に真空パックできるのである。

いつ読み返しても、そのときの気持ちや、なぜそのように感じたのか、当時の風景や、人の表情や、聞いていた音楽とともに掘り起こすことができる。

わたしにとってメモをとるということは、流れゆく心と身体にクサビを打ち、生活に抑揚をつけ、句読点をうち、要点を残すことに他ならない。

職人のヘルメット
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職人が綴ったコラム

かつて山城萱葺で働いていた職人が、茅葺きの難しさとおもしろさ、現場での苦悩や発見をコラムとして綴ってくれました。なかなか言葉で語られることのない茅葺きの世界。ご興味のある方は、のぞいていただければと思います。

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