エッセイ8「タマとオクタマその2」22
・フラットルーフ
屋根の栄枯盛衰。
90年代以降は、一般住宅における屋根表現は一気になりを潜めて、屋根なしの住宅作品が屋根ありを上回り、2000年以降は、
ついに屋根なしが屋根ありの倍近くに差を広げている(「JA」第69号P7参照)。
フラットルーフに例えば屋根をのせてみよう。
沖縄の赤瓦、神社の上にのせたX型の千木や水平材である堅魚木(かつおぎ)、天守閣の鯱(しゃちほこ)、キリスト教会の尖塔、
イスラムモスクのドーム、なんでもよい。
するととたんに、民家だとか、お寺だとか、集落だとか、世界のどこかの地域性、歴史性を連想させる。
つまり、屋根というのは、たんに雨風を凌ぐだけの機能的意味だけでなく、その形式によって歴史的なものとの接続、地域的なものとの接続が
確認されて、文化的な意味を付与するのである。
「入母屋御殿」で「入母屋」の屋根形式が、家格をあらわす権威的なイメージと結びついていたように、ひとたび屋根を被せると物語が
はじまるのである。
それでは一体なにを物語るのであろう。
それは「場所」である。
そしてもっといえば、場所と環境が屋根において自然な関係を有している、その関係性を物語ってくれる。
屋根とはそういう豊かな想像力をわたしたちに提供してくれるのだ。
フラットルーフは極小の勾配で水を集めて流すという技術を背景にして、こうした屋根が従来もっていた場所と環境との関係性の応答を終了させて、
つまり別の言葉でいいかえるならば、それまで連続的な地域性や、歴史性という時間と空間との接続をぶった切り、
「自由な」住宅の形式を獲得しようとする。
それは、七面倒くさい地域だの、歴史だのから「自由に」なって、「いつでも、どこでも」建てておかしくない住宅様式を目指したのである。