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エッセイ7「タマとオクタマその1」7

たしかに、90年代くらいまでは、人が住み、働き、モノを買い、食べ、話しという「普通」の人間活動が通用しない、常識が消える空間というのが肌で実感できた。

子供心にこれ以上はいったらやばいと直感できた。

消えた先の空間は都市の暗部、常識の通用しない異界であった。

「場末」とは、このような緊張感のある常識の「外」であった。

しかし、00年代になると、こうした都市の孔が剥き出しにされることなく、団地や、オフィス街の一室といった「常識」の内、「普通の中」で内在されるようになってしまった。

昨今の犯罪や、外を歩いていても何が起こるかわからない不安感は、こうしたのっぺりとした安全安心であるはずの空間に、ぽつぽつと異物を抱えていることに起因する。

 

 これに呼応するかのように、ジェイムソンもおそらく予測できなかった程のテクノロジーの進化は社会を逆に縮めてしまう、という同志社大学教授の

浜矩子の指摘は重要である。

産業革命以降、モノの効率的な量産体制が進化を遂げていった。

フォーディズムに象徴されるように、かつてのイノベーションは、どんどんと地平により広がっていくような性質であった。

要するに、ベルトコンベヤーシステムで車を大量生産することで、スバル360にように国民大衆車として安く車がかえるようになり、通勤圏が広がって、

郊外に住宅地ができて、休日にはドライブして買物してさらに地平の果てにいって・・・

と、かつてのイノベーションは自然と市場の開拓が文字通り水平方向に広がっていたと指摘した。

これが近代の発芽からおおよそ70年代までの姿である。

しかし80年代以降、ジェイムソンが指摘するような爆発的な物流と圧倒的な時間の短縮が社会による社会の不均質を経て、00年代に入ると、イノベーションは

新しい段階に入る。

半導体の値段が下がって、いろんなことがIT化されて、ネッットで個人輸入したり、世界の隅々まで見渡せるようになってしまう。

すると、人は飛行機で移動しなくても、部屋の中で用が足りてしまうのだ。

さらに、世界的な価格競争になるので、商品の値下げ、労働者の給料カットを誘い、結果として経済が不活発になり、人はますます部屋の中から出なくなってしまう。

画期的な技術が発明されると、逆説的にも世界は縮んでいってしまう(文芸春秋10月号参考)。

都市の孔がみえなくなってしまったのも、どうやら技術革新による所が大きいのである。

こうした現象は東京だけでなく、世界的に都市部の普遍的な現象であり、「帝国」(ネグリ&ハート)で指摘されるように、もはや風土や、文化をとっくに

越えて地球規模で起こっている現象なのである。

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かつて山城萱葺で働いていた職人が、茅葺きの難しさとおもしろさ、現場での苦悩や発見をコラムとして綴ってくれました。なかなか言葉で語られることのない茅葺きの世界。ご興味のある方は、のぞいていただければと思います。

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