エッセイ7「タマとオクタマその1」6
90年代初頭、私が小学生の頃までは、東京という都市にも「いま・ここ」にしかない場所があったように思える。
開いているのか閉まっているのかわからない食堂、路地奥の怪しげなゴミ箱、「ヤクザ」の本拠があるという噂の昼なお暗い雑居ビルの入り口、新宿南口で
がらくたを叩き売りをしているおじさん、渋谷宇田川町のフィリピン人の客引き、大声で演説する奇人・・・
都市の隙間には子供が近づいてはならない、見てはならないような妖しい所、があって、子供心に暗くじめじめした都市の暗部は怖かったのを覚えている。
こうした都市の谷間や隙間は、都市に奥行きを与えていたし、表のきらびやかなショーウィンドーに対をなして、もうひとつの「暗い」現実を形作っていた。
「都市の孔」ともいうべき空間は、90年代までここかしこに開いていた気がする。
「いつでもどこでも」という表舞台の商業施設と背反するように、そこには「いま・ここ」にしかない「つち」っぽさがあった。
フレデリック・ジェイムソンは、こうした近代が促進してきた圧倒的な時間の短縮、そして速度の推進が極限にまで進むと、都市空間において社会の変化と
いうものが逆説的にも「何も変わらない」という不動生をもたらすという矛盾を生じると考察した(フレデリック・ジェイムソン「時間の種子」)。
さらに、均質なものを目指すベクトルが、いつのまにか不均質なものへとたどりついていると述べている。
だがしかし00年代にはいると、ジェイムソンが指摘したような都市の不均質な部分は、だんだんと見えなくなってしまった。
都市の孔がすっかり埋まってしまい、どこをとってものべったりとした風景が続き、おどろおどろしい孔としての都市の暗部は消え去り、穏やかな抑揚のない
風景がだらりと続いている。
むかしはもっと汚かった。
もっと臭かった。
子供のときには、どこからかゴミや排泄物の匂いがして、「くっさー!」と友人とともに猛ダッシュしたものだった。
しかし、鷲田清一は、孔は消えたのではないという。
むしろ「なんでもない普通のマンションにの個室に、あるいは住宅街の一室に、内在しだした(鷲田清一「京都の平熱」p63)」というのだ。
一見何でもない住宅街や団地の一室で都市の孔が内在したというのだ。