エッセイ7「タマとオクタマその1」5
東京だけではない。
それは郊外にまで波及し、地方都市に場所を無視したような風景ができあがる。
ファミリーレストラン、パチンコ屋、ホームセンター、スポーツジム、紳士服、巨大ショッピングモール・・・、
日本の国道沿いの風景はどこもかしこも似たような風景である。
コピー&ペーストでまるでゲームのシムシティのように次々と商用施設が出来てゆく。
このような景観を「ファスト風土」(隈研吾)と揶揄するのは最もだ。
だがしかし、砂漠のように見える郊外のファスト風土にも関わらず、片脇にある個人経営のお店を尻目に、人々はこうしたシムシティのようなお店に入っていく。
なぜであろうか。
なぜ、人々は、こうした巨大テナントに吸い寄せられてしまうのだろうか。
一つの可能性として、この現象は、人々の「いつでもどこでも」同じという安心感から生まれているといえはしないか。
こういう私も初めていく街では、ついチェーンのレストランやコンビニに身を委ねてしまう。
「いつでもどこでも」同じという安心感に身を委ねているともいえる。
個人経営の食堂に入ったなら、メニューをみて、なじみの客の中に入って、おじちゃんと挨拶をして、、、
とローカルルールに足を踏み入れることになる。
こうした緊張感よりも、或る程度人間と人間が距離をもった自分という「私」の領域をそのまま保てるという安心感を私は選択してしまう。
このような安心感は、おじちゃんの食堂の「いま・ここ」にしかない「一回性」のもつ緊張感と鋭い対立をなす。