エッセイ7「タマとオクタマその1」1
高校3年間、私は神奈川県の私立桐蔭学園に通っていた。
小田急線に揺られて、実家の最寄り経堂駅から30分程、柿生駅まで通学していた。
柿生駅を降りると桐蔭学園生がバスを待ちながら溢れかえっている。
なにせ一学年1500人32クラスのマンモス高校で、さらに初等部、中等部、大学も同じキャンパスに併存しており、一山丸ごと切り開いた巨大な校舎に向かって、
小田急バスは何十本も毎朝、毎夕ピストン運動を繰り返さなくてはならなかった。
小田急バスだけではない。
南部からは田園都市線の青葉台、市ケ尾、あざみ野といった駅からも東急バスが次々にキャンパス内に列をなし、行き帰りのバス停はまるで都心部の
バスターミナルのように学生が列をなし、混雑していた。
あれから10年、再び小田急線で通うことになった。
今度は、茅葺きの現場に、である。
2007年の年明けから、東京都町田市にある旧白洲次郎・正子邸「武相荘」を美山茅葺株式会社が葺き替えをすることになり、親方と私も応援の職人と
して参加させて頂いた。
武相荘は文字通り、武蔵の国武州と、相模の国相州の間にあることから「武相荘」と白須次郎が名付け、最寄りの駅は柿生の次の駅鶴川である。
朝早く起きてから経堂駅に自転車を飛ばし、小田急線に飛び乗る毎日は、10年振りである。
高架化した小田急線の車窓から変わらない景色と10年前とかわった景色を確認しながら、「まさか10年後に茅葺きの現場に通うことになるなんて、
高校生の自分は夢にも思ってないだろうな」と述懐してみる。