エッセイ6「場所ということ」10
パブリックな社会に対して、団らんの場として家族のあり方が近代的だとすれば、それは家の間取りにも反映される。
個室がひしめく現代の住居に比べて、農家はほとんどが開け放つことができる間取りであった。
つまり家族のあり方は成員ひとりひとり似よるものではなく、家族が社会の最小単位としてどのように機能しているかということであった。
このように労働と生活が分けることなく繋がり、藁を通したできた家族のあり方は、家と田畑というまさにその「場所」と密接な関係を結んでいた。
田畑から生産された稲を脱穀して、それを干すことで藁になる。
今度は藁を使って、縄綯いをしてそれを今度は再加工して、俵、筵、草履、蓑、雪靴、笠、鍋敷き、鍋つかみ、さらには注連縄などをも制作して、
生活することは、食べること、着ること、住むこと、祈ること、働くことが、その「場所」においてすべて密接に接続し連関し合いながら展開していった。
「藁縄はできるだけ無駄なく使うんや。
昔は施主が一生懸命手綯いしたものを職人に差し出したんや。
だから職人も使えるところは全部使ったもんや。
それは針金でも銅線でも一緒や。」
浜松の宝林寺の工事において、私が、余った藁縄を切ってポイポイ捨てていると、美山茅葺会社の親方中野誠氏に叱咤されたことであった。
現在こそ、機械で編まれた藁縄を使う。
さらに藁縄の代わりに針金を用いて、竹と下地を縫いこむことも珍しくない。
捨てることに慣れきった私は、「場所」を中心に展開された生活の重要性を中野氏から教えていただいた。
現在、非物質的労働においては、働くことは、生活することと同義ではなくなった。
「茅クズはすべて引き取って堆肥にします。」
神戸市北区の工事のとき、有機農家を営む今井氏は農閑期のテッタイとして工事に参加しながら、現場の茅クズを全て引き取り、空き地の一カ所にシートを
かけて発酵を促し茅の堆肥を作っていた。
「土に戻してやんねん。」
なるほど。
「つちからやねに、やねからつちに」という「場所」をサイクルする一端をいま見ているのだ。
茅葺き屋根が、「場所」を中心に生活が展開していたとき、屋根の葺き替えがあるごとに、農家の方が引き取り堆肥として土に混ぜていたという。
とくに煤けた茅ほど上質な堆肥になるらしく、いろりを使い、生活に煙があった時代には、まさに美しいほど合理的で、無駄のない、茅を通した「場所」
の生活が成立していたのだ。
今井氏からは低農薬、無農薬の野菜を、お礼にとたくさん頂いた。
こうしたやり取りは、都心の真ん中で育った私にとって、新鮮で嬉しく感じられた。
その後多くの現場で茅クズが「産廃処理」になっているところをみると、心が痛むのは今井氏の笑顔が思い出されるからかもしれない。
そして、2年後に、別の現場で再会したときであった。
「あのときの茅がな、やっと堆肥になってな。時間かかるわあ。」
そうである。
「やねからつちに」になるまで、またまた時間がかかるのである。
発酵という自然の時間をただ待つしかない。