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エッセイ6「場所ということ」11

 私は、3年目の2度にわたる長期の出張を通じて、物質的労働において、両者は密接に関係し合い、むしろいかに生活をするのか、ということが、

いかに仕事をするのかということに、直接影響を与えるものだと考えるようになった。

私はどちらかというとズボラな人間であり、服をきちんとたたんだり、片づけや掃除が中途半端であった。

そうした日常生活のひとつひとつをきちんと送ることが、屋根葺きにとってひとつひとつをきちんと仕事をするということに直接繋がっていることが分かってきたのである。

 

 出張における共同生活において、その上下関係がある程度緩和され、仕事の場では決して言えない会話を行えるのが、飲みの場である。

夕食もおわり、風呂に入り終わると再び机を囲み、飲みだすものがあらわれる。

最初は2、3人の気の合うテッタイ同士でも、じゃあ俺もと飲みの輪が広がっていく。

仕事のことは無意識的にか、意識的にか、話題としてあまり上らず、むしろ日常のたわいのないアホ話に花が咲く。

ときに先輩職人のことを弟弟子がいじったり、普段の上下関係が逆転するような発言が飛び出し、そこに皆の笑いが混じると連帯感とともにその発言が許容される。

このように普段の秩序や属性から解放され、ときとして価値が逆転するような表現が可能になることは祝祭、カーニバルとして世界中普遍的にみられる

現象であり、日常に対して非日常空間の創出である。

ここでは、性、年齢、社会的属性から解放され、人間と人間としてのつきあいが許容される。

例えば、日本においては、村の祭りは、普段は倹約的生活をおくる村人が、祭りの場では逆に消費が奨励され、飲んで歌って騒ぐことが許された。

出張中の共同生活において、飲みの場というものはこのような祭り的な機能を果たし、長い出張を乗り切るにあたって、とりわけ重要な役割を担っていると考えられる。

親方、弟子、テッタイという関係を緩めて自由な発言が奨励される飲みの場は、お互いの人間理解の場でもある。

屋根の上ではなかなかできない何気ない会話がお互いの理解を深めていく。

こうして夜も更けていくと、三々五々と入眠していく。

翌日の朝はまた弟弟子とテッタイが中心になって朝食のしたくをする。

現場によるが低予算で昼食がまかなえないときは、5時に起きて朝食の準備をしながら、さらに昼食の弁当の支度をしなくてはならない。

前日の飲みの場で緩んだ親方→兄弟子→弟弟子→テッタイの上下関係は、目覚まし時計とともに再統合され、再び日常が始まる。

職人のヘルメット
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職人が綴ったコラム

かつて山城萱葺で働いていた職人が、茅葺きの難しさとおもしろさ、現場での苦悩や発見をコラムとして綴ってくれました。なかなか言葉で語られることのない茅葺きの世界。ご興味のある方は、のぞいていただければと思います。

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