エッセイ5「土から屋根に、屋根にから土に」13
そして美しいと感じると同時に、私はヨシ場にたつと、何かワクワクするような冒険心をくすぐられる。
小学生の頃に、私は団地の合間に張り巡らされたコンクリート塀を乗り越え、金網を登り、有刺鉄線をかいくぐり、独自の登下校コースを生み出すことを楽しみにしていた。
学校が指定した道路という通学路を単純に登下校するのではなく、家と家の間の塀を渡り、金網をよじ上り、通学路より遥かに複雑な塀と網でできた迷路の中に、
新たな道を発見し冒険する興奮である。
ヨシ原にはそんな興奮に満ちている。
少年の頃の瑞々しい驚きや感動を呼び覚ましてくれる。
そして、私が幾多の登下校のコースを開発したものの、すべてのコースに必ず通るのが、「はらっぱ」であった。
原っぱもまた規格化された道路とは違って、何が起きるかわからない予見不能性に満ちてワクワクさせる。
どんな生き物がいるのかな。
どんな草が生えているのかな。
季節によって、時間によって姿を変える原っぱはいつも少年の心を踊らせていた。
はじめて、大阪の淀川河口のヨシ場に行ったとき、原っぱで遊んだときと同じような感覚を覚えた。
淀川に沿っておよそ目につく限りの広大なヨシ原である。
あの向こうに何があるのだろう。
行ってみたい。見てみたい。
少年時代の塀を乗り越え、金網をのぼる心と、いまヨシを刈り進めて奥地へと入っていく心が私の中で同居する。
だがしかし、奥に入って刈り進めてふと空を見上げると、奇妙なねじれを覚えた。
そのヨシ原の背景には、梅田の巨大なビル群がそびえたっているのである。
なんというコントラストであろう。
1千年以上も刈って維持されてきたヨシ場と、戦後数十年の間にうまれたビル群の光景。
同じ視界のなかに、歴史の奇妙なねじれが同居している。
日本各地を探しても、これだけ歴史的に「ずれた」光景を探すのも難しいであろう。
象徴するように淀川でのヨシ刈りは、月の暦によって仕事が行われていた。
河口の汽水域は毎日の満潮と干潮を読みながら仕事をせねばならない。
満潮の時間は毎日変化するので、うかつにヨシ場の奥まで刈り進めると、あっというまに満ちる潮についてゆけず機械もろとも立ち往生してしまうのである。
さらに、満潮時のかさは、満月と新月によっても変わる。
なので、潮が満ちやすいところから先に刈ってゆかねばならない。
もちろん、梅田のビル群では、完璧な空調設備とともに、窓の外からみえる淀川のヨシ場が黄色く色づいて季節を把握しているに違いない。
冬期になるとどこからか刈り子がやってきて、ヨシをカマで刈っている人の姿が豆粒のように写っているに違いない。