エッセイ4 野生の「しなり」5
それでは、いったいどこの誰がこの「しなり」を生み出したのだろう。
物理学も、力学もないような時代から、どうして茅がしなることで、目がつまり丈夫な屋根になるとわかったのだろう。
わたしは、まさにこれこそが「野生の知」「野生の科学」なのだと思った。
レヴィ=ストロースが1962年に刊行した「野生の思考」は、50年経った今でもおそろしい影響力をもち、いままさに茅葺き屋根の中で爆発しようとしている。
「野生の思考」とは、数学的、論理的、幾何学的な西洋の科学的合理思考と対置され、技術者による周辺環境のなかから選ばれた材料をもって
仕事をつくる器用仕事あるいは日曜大工(ブリコラージュ)をつくる思考のことを指す。
たとえば、こわれた真空管ラジオをマムシに渡してみよう。
彼にとっては電子工学の意味をもはやない。
分解して、すべてのパーツにばらして、そこから何か別のものを創りだす。
そこでは真空管は別のものに変身しているかもしれない。
真空管はただのコップ。
基盤は室内の装飾品。
それぞれのパーツは、もはや電子工学的な意味は喪失し、シェコの村にとって「意味のあるもの」に変身していく。
真空管ラジオが解体されて、どのように組み合わされ、どのような意味が付与されていくのか、もはやマムシの頭の中にしかない。
つまり、ブリコラージュとは、物事が置かれている関係を組みなおし、別の何かに意味させる作業、ありあわせの素材の集合体の中に新たな構造、
つまり秩序を作り出す作業なのである。
ブリコラージュは、ライン作業であらかじめ規格化され設計された生産体制、レディメイドの材料で仕事をする技術者と鋭い対象をなす。
工場では、真空管ラジオを製作するために、あらかじめ用途に即して完全にコントロールされた部品を組み合わせ、ひとつのものを作るのであるが、
ブリコラージュの技術者は、自分の力ではいかんともしがたい「自然の痕跡」をそのままに利用して、新しい組み合わせをおこなっている、
まさに知的な器用仕事なのである。
実はこの仕事の仕方は、新石器革命が誕生して以来、広範に伝播した人間の労働の様式で、産業革命以降の徹底的に効率化された生産体制とは異にする。