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エッセイ2「仕事を盗む4」

「職人は食えないよ。それをカバーするのはこの仕事に対する情熱です。」(山田親方)

 

心がけひとつで一から十を学ぶこともできるし、一から何も学ばないこともできる。

後年、後輩を持ち自ら指導する立場になって気づいたことではあるが、言葉ですべて説明しきってしまうよりも、ポイントだけ伝えて後は自分自身で

考えさせる余白を与えたほうが、後輩の成長につながると感じた。

その余白に対して、あなたはどれだけ考え、挑戦するのですか?と実はこちらは見ているのだ。

その余白を気づかず見過ごすものもあれば、その余白をこちらが期待している以上に書き込んでくるものもいる。

「仕事を盗め」というのは、時間をかけて余白をあなた自身で考え、答えを書き込みなさいということである。

非効率かもしれない。失敗も多くなるかもしれない。

それでも、意欲と覚悟が、その時間的厚み以上に、経験的厚みをもたらしてくれる。

一方、教科書的に教わるということは、余白なく無駄なく効率的に答えを教えますよということである。

人間を育てるうえで、この丁稚修行のありかたはなにかしらヒントを与えてくれるような気がするのだ。

 

さて、振りかえる余裕もないまま時は流れていた。

2006年5月末に、沢井家住宅の仕事がおわり、8月にザイラー茅葺き音楽堂の修繕をおこない、民家をいくつか修繕した後、東京は町田で、

12月から翌2007年1月末まで武相荘(白洲次郎正子旧家)の全面葺きかえに参加させて頂いた。

こうして一年が過ぎる頃、私はマムシ少年のナイフについて再考していた。

「歴史化された身体」とは、エチオピアに滞在していた頃、まるで先人たちの身体技法が亡霊のように、そのままマムシ少年に宿ったかのように見えていた。

しかし、その亡霊はあくまで表面的なものを見たに過ぎなかった。

茅葺きの仕事を一年経験して、真似たり、失敗したりした自分との葛藤を思い起こしてみると、実はマムシ少年自身が、先輩から教わった

ナイフの使い方についての言説を、自分自身の中で噛み砕き、よく味わい、飲み込み、幾多の試行錯誤を経て、やっと獲得したものだったと気づいたのだ。

踊るような鶏の解体捌きは、マムシ自身の個人的な幾多の失敗という経験、そして、多くの観察と実験が加味された上に成り立っている。

このようにしてシェコの先人たちの知恵は、マムシの身体に受け継がれ、マムシの発見も加えられて、次の世代に伝えられる。

マムシの中でも、わたしが茅葺きで学んだのと同じように仕事を盗み、真似し、そうして出来上がったナイフ技法だと気づいたのだ。

そこにはマムシの心の中で、様々な葛藤や軋轢があったに違いない。

そして、シェコの村という逃れることのできない現実を直視し、そこで生きてゆかねばならない覚悟があったに違いない。

 

つまり、「仕事を盗む」とは、シェコ族の村であろうと、茅葺きの世界であろうと、その社会の中で、否応なく強いられるルールや感性を

まず全面的に引き受けて、その社会の一員として生きる覚悟をもつということである。

いいかえれば、「その仕事と自分自身が、見分けがつかなくなるほど一体化し、そうなることを望んで、取り返しのつかない一線を決定的に越えてしまう、

そうした取り返しのつかない存在として生きること」(1)への覚悟である。

私はその覚悟をもつまで1年以上はかかったと振り返る。

茅葺きの仕事を初めて一年が過ぎ、日々の仕事の中で、数々の失敗を経験し、そのために現場の進行を遅らせ、みなに迷惑をかけてしまった。

そのときの悔しさが次にどうやったら効率よく奇麗に仕事ができるのか考えるきっかけを与えてくれる。

一年が過ぎたあたりで、ようやく職人として生きる覚悟が生まれ、もう何も他に選択肢はありえないことを悟り、仕事に対する姿勢や態度も変わってきたように振り返る。

そうした自分の中での内的戦闘を展開した上で、やっとエチオピアのマムシのナイフ捌きの中に、渦高く重なった彼自身の苦心や覚悟といった心理的葛藤を理解できたのである。

 

(1) 福田和也「成熟への名作案内」2002 p61

職人のヘルメット
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かつて山城萱葺で働いていた職人が、茅葺きの難しさとおもしろさ、現場での苦悩や発見をコラムとして綴ってくれました。なかなか言葉で語られることのない茅葺きの世界。ご興味のある方は、のぞいていただければと思います。

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