エッセイ7「タマとオクタマその1」21

 わたしがはじめて小田急線からみた可喜庵を含んだ鶴川の沿線の景観は、「郊外」という、フィクションとしての夢と、場所としての「つち」が混在した姿であった。

そして、可喜庵が「つち」から生えている様に感じたのは、生きることが、いろいろな形に変形されて生活が営まれている郊外の新しい住宅にくらべて、

その「場所」にしかもちえない「ほんとうの場所」だからだと感じたからでないか。

大正期の「ユートピア郊外」から端を発した地名のブランド化、たとえば成城学園や田園調布がなにやらフィクションだと感じるのは、可喜庵がブランド

地名などを遥かに通り越して、「ほんとうの土地」=「つち」から生えているように感じるからなのである。

それは、可喜庵そのものが鶴川街道の新道と旧道に挟まれていることで奇しくも、その混在性は裏付けされていく様に思われている。

「茅を葺き替えたくても茅もなければ葺手もない」

 「こんなボロヤを写真にとらんでくれ。恥をかかすな。」(前喝書「芝棟」p104)

 

 かつて古い家にコンプレックスを抱く人も沢山いた。

そして、共同労働奉仕や茅無尽の制度が崩壊した現在、草葺屋根の葺き替えは、茅の購入や、葺きかの手間賃などを加えれば、近代建材を用いた屋根

よりも遥かに予算が必要になる。

それでも鈴木社長は、「可喜庵」の葺き替えを決意していただいた。

そして葺き替え後の茅葺き屋根をみる鈴木社長の誇りに満ちた顔が忘れられない。

町田市の「可喜庵」という、「郊外」に位置しながらも、3代目の工務店社長という「場所」に根付いた茅葺き屋根の元で育った鈴木社長は、その瞳の奥では、

幾重にも重なった戦後日本の錯綜した都市化の問題を睨みながらも、「芝棟の茅葺き」という最も古い茅葺きの形式を、むしろ新しい目でみていたのかもしれない。

 

 人はだれしも家が新築されるときは夢をみる。

新しい生活と環境に夢が膨らむ。

しかし、私は可喜庵の葺き替えを通じて、芝棟の復活とともに、大正以前に「つち」がもっていた記憶を真空パックし伝え続けるとことで、古い屋根の

復活というよりも、シャレてかっこいい屋根という新しい夢を見た気がしたのである。

長らくご無沙汰になっている可喜庵の棟は、いまユリやアヤメが風に揺られていることを夢見てやまない。