エッセイ8「タマとオクタマその2」1
私はいま武蔵五日市から檜原街道に入っていく所である。
東京の雑然とした街並は、徐々になくなり、急に山の中に道が進んでいく。
すでに広々とした武蔵野の丘陵地帯は消え去り、両側に反り立った山が待ち構えている。
谷が深い。2009年は「可喜庵」の葺き替えだけでおわらなかった。
奥多摩の檜原村での葺きかえ作業も待っていたのである。
多摩と奥多摩、可喜庵の葺き替えで武蔵野の屋根のあり方を学んだつかの間、今度は奥多摩檜原村のかんづくり荘という民宿の屋根の葺き替えである。
1年に東京西部の二棟を葺き替えすることになり、このことは茅葺きという身の回りで手に入る植物性屋根の深みや奥行きを学ぶきっかけをさらに与えてくれたのである。
檜原街道をひた走ると、「簑甲」(みのこう)という優美な曲線のケラバをもつ巨大な入母屋の屋根、そして奥多摩から山梨にかけて江戸中期から後期
にかけて増加した「甲屋根(かぶとやね)」が、トタンをかぶったものがほとんどながらも多数残っている。
いままで本の写真でしかみたことのなかった甲屋根や、簑甲のついたケラバを目の前でみて圧倒されてしまった。
まず、屋根のサイズが奥多摩地方はどれも大きい。
「可喜庵」が150平米ほどの屋根面積であったのに対して、奥多摩の屋根は300平米から400平米を超えている。
ほとんど、お寺の本堂かと見まがうような豪壮な造りである。
そして何よりも「簑甲」の曲線のもつ美しさに目を奪われる。