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エッセイ8「タマとオクタマその2」19

2トンのワイドロングボディのトラックに荷を積み、奥多摩の細い山道を下っていく最中、鷲田清一の一説が思い浮かんだ。

「大木はニュータウンにあるはずがない。そもそもニュータウンとは樹木を伐採し、土や石を削って出来たものだからだ。」

(鷲田清一「京都の平熱」p260)

奥多摩の民家は、大木だらけである。

切り立った山の斜面には所狭しと杉の大木が林立している。

そして、民家の骨格をなす屋根下地は、皮を剥いただけの粗野な大木をサス組として並び、その上を屋中とよばれるこれまた荒々しい丸太が、

横材としてサス組をつないでいる。

どれも原木のままの形で、曲がり、反り、跳ねている。

近代建築がNGとしている、不規則な線や、ねじれた面を、茅という材料は包み込む柔軟さを備えている。

近代以前の住宅は、大木の不規則な曲線と、茅のしなった曲線とで、茅の屋根は構成されているのだと改めて実感する。

 

 やがて武蔵五日市の駅前まで檜原街道を下りると、そこには寺社を除いて大木が見られなくなった。

代わりに直線と直線が交わったビルやマンション、建て売り住宅である。

だがしかし、奥多摩の民家が明治になってこぞって模倣した、破風板の装飾や、木連格子、簑甲の曲線の強調など、あの豪壮な入母屋建築は

完全に姿が消すのであろうか?

戦後になって家を新築をするとき、茅葺き民家を建てることでなくなっても、民家の形の中になにかその痕跡を辿ることができないだろうか?

急峻な山合の道をおりて、武蔵野の大地が開けたとき、私たちは、まるで奥多摩のテーマパークにでもいってきたかのような錯覚にとらわれた。

東京という世界屈指の巨大都市の末端に下りてきたとき、いったいこれが現実なのか、奥多摩の集落が現実なのか、

同じ時間を共有しているとはにわかに信じ難いほどの、文化的な隔たりを感じる。

だがしかし、近代化というキーワードで、奥多摩と武蔵野が断絶されたかのように見える両世界を縫い付ける人々の価値が、

じつは「入母屋」という屋根形式に潜んでいるのであった。

 

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かつて山城萱葺で働いていた職人が、茅葺きの難しさとおもしろさ、現場での苦悩や発見をコラムとして綴ってくれました。なかなか言葉で語られることのない茅葺きの世界。ご興味のある方は、のぞいていただければと思います。

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