エッセイ8「タマとオクタマその2」18
・簑甲を葺く
「みのこうをやってみな」
親方は若干のヒントを書いたメモを私に残したあと、「任せた」といって、春から入った若手二人の面倒に終始している。
関西では「ケラバ(螻羽)」と呼ばれる切り妻の部分は、カドを収めるのが大変難しく、屋根葺きの工程で職人が覚える仕事の中でも、
最も難易度の高いパートである。
関西のケラバをまだ覚えて間もない頃、関東の切り妻の「簑甲」に挑戦することになった。
どんな文献を漁っても、茅の収まりの感覚までは教えてくれない。
古い屋根を解体しながら、どんな縄をとってあるのか。どんな位置で、どのようなカドの大きさでとってあるのか。
注意しながらめくらなくてはならない。
どこの誰ともわからない茅の職人との無言の対話が、茅をめくりながらつづく。
私は無意識に、「そっか。こうやって収めてるんだなあ。」などと独り言をつぶやいていた。
ふいに、テッタイ時代に、山田親方が、屋根にむかってぶつぶつと独り言をささやいていたことを思い出した。
「なるほどなあ。」「これはあかんやろ〜〜。」「こうしてんやなあ。」
気がつくと、いままさに私は同じような呟きをしているではないか。
「どーなってんのー」「まじか!」「んーなるほどー。」
実は、職人がぶつぶつと呟いているときは、以前この屋根に宿った職人たちの魂と会話をしているのだと、はたと理解した瞬間であった。
私が呟いていると、全てを見透かした様に、山田親方は向こうからにやにやと私を見ているのであった。
親方が残したメモには、簑甲の形の種類が3種描かれていた。
それによって、簑甲が出来る線が異なるということである。
どのタイプの簑甲を葺くのか。
最初からイメージしておかないと、縄の取る位置、軒から平に帰った後の面の狙い、葺く茅の選択が間違ってしまい、
長持ちするよい屋根にならなくなってしまう。
私は簑甲に付きっきりにさせてもらった。
眼下は8m以上もある恐怖心と戦いながら、足を滑らせない様に意識を払いながら、手元の茅に集中していく。
そうして3週間程で、なんとかかんづくり荘のヨシでの葺き替えが終了した。