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エッセイ8「タマとオクタマその2」8

 呼応する様に、奥多摩の杉皮葺きはどうやら昭和初め頃から徐々に、そして戦後に一気に普及していったらしいのである。

記録を繙いてみると、例えば、昭和27年と29年に、野村治男氏の茅葺き屋根を杉皮葺きに、山本一二三家は、昭和37年に杉皮葺きに、

最近では、小林栄治家と、かんづくり荘の杉皮葺きは平成6年に葺き替えている。

(「多摩のあゆみ」89号p50〜52)

杉皮葺きは手間もお金もかかるが耐用年数が50年ほどと茅に比べて遥かにもちがよく、林業で潤った山の人々は、杉皮葺きを好んでいったのである。

 

 そしてこうした杉皮を屋根材として用いる現象は、戦後になると、県をまたいで山梨県東部でも広がっていた。

山林資源の利用や、土地所有の変化から富士山麓の村々では、しだいに茅葺きから杉皮葺きに葺き替えたり、同じく大月や、上野原といった

山梨県東部でも茅と杉皮を交互に葺いたりするいわゆる「虎葺き」がみられるようになった。

(坂本高雄「山梨の草葺き民家」)p117〜118)

 

 私は「伝統」と聞くと、いかにも何百年もの間、変わらずにどっしりと構え、人の技術にしろ、物質文化にしろ、不変であることが

伝統のように感じてきたが、実は、時勢に応じて最も合理的な選択を行い、その都度方向を変えながら積み重なってきたものが

「伝統」だと考える様になった。

一様である必要性はない。

「生きる」という最も現実的な重荷を背負ったとき、それまでの技術や方法を受け継ぎながらも、それを組み合わせたり、くっつけたり、

混ぜ合わせたりすることで、ブリコラージュ的な発想で新しいものを創る力、つまり革新が杉皮葺きには宿っていると感じた。

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かつて山城萱葺で働いていた職人が、茅葺きの難しさとおもしろさ、現場での苦悩や発見をコラムとして綴ってくれました。なかなか言葉で語られることのない茅葺きの世界。ご興味のある方は、のぞいていただければと思います。

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