エッセイ8「タマとオクタマその2」6
杉皮葺きの解体は私にとって新しいことづくしで、驚きの連続であった。
まず驚いたのは、屋根の厚みのうち、半分は茅で葺いてあり、もう半分は杉皮で葺いてあったことだ。
表面にはでてこない茅が杉皮をめくると奥から顔を除かせる。
杉皮はほとんど朽ちていて、中には蟻の巣になっていたり、カブトムシの温床になったりしていたが、奥に葺いてある茅はほとんど全く無傷であった。
つまりこれは、もともと茅葺きだった屋根の上に杉皮を葺き重ねたことを物語っている。
そして杉皮は、桧皮葺きのように、竹釘でとめるのではなく、割った身の薄い竹と、そこから30cmほどおくに丸い竹で締められていた。
締めた竹は茅屋根をおさえている竹から縄をとり抑えられている。
発想が完全に茅葺きから得ていることを物語っている。
おそらく茅も葺ける職人でないとこのような高度な杉皮葺きをすることはできないはずである。
さらに驚いたことは、杉皮の膨大な量である。
これほどの杉皮を集めるには、かなりの杉の伐採が前提となる。
たしかにまわりを見渡すと視界に写る鬱蒼とした杉の巨木をみると、なるほどこれだけの杉があれば、杉皮のとれる量も膨大になるかもしれない。
しかし、オーナー夫妻が語る様に、いまでは杉皮を手に入れることが難しいというのだ。
「可喜庵」で武蔵野の原風景とでもいうべきものに興味を抱いた様に、奥多摩の山は、一体いつから杉の山になったのであろうか。
さらに、もともと茅葺きであった屋根は、どのようにして杉皮葺きに変化していったのだろうか。
奥多摩から甲府盆地東部一帯に広がる独特な屋根文化が浮かび上がるとともに、私は奥多摩をいまいちど人間と環境の関係性という
「つち」の感覚で見てみたくなった。