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エッセイ7「タマとオクタマその1」20

 こうした郊外への夢、郊外へのイメージは私鉄の西進とともにぐんぐんと武蔵野の大地を闊歩し、前述の1000平米もの本百姓の屋敷地は、

半分が夢をまとった住宅地への土地を提供し、屋敷の主屋と併存するというちぐはぐな景観が出来上がっていく。

元来土地にあった屋敷というリアリティと、郊外住宅のフィクションとしての夢が溶け込み合っていく。

私鉄の沿線に沿ってつくられた計画的田園都市、成城学園、田園調布などがエネベザー・ハワードが提唱した「田園=都市(タウンカントリー)」という

概念に依拠するものであれば、それ以外の大多数の計画されていない郊外地には、私鉄的なフィクションの隙間からどうしても流れて出てくる泥臭さ

のようなものが混在している。

それはかつての武蔵野の百姓たちが開墾していった「つち」が臭うからではないか。

 

 かつて大正期に「ユートピア」として開発された郊外は、現在では私鉄の駅と切っても切りはなせない関係になっている。

「サラ金の広告であったり、整理しても整理しても滲みだしてくる放置自転車や小型バイクの列であり、布を張って立てかけた看板の群であり、

そして自動販売機の集団である。これらをそれえれば、日本の郊外の空間が出現する。」(「都市のかなしみ」鈴木博之p29)

というように、郊外とは、現在においては、東京という中心部に人々を送るための小さくばらばらにされた都市機能なのである。

郊外の駅前には、こうしたカネの動きや、不動産の売買や、人々の輸送手段がバラバラに並列化されて、放置されているのである。

都心では、きらびやかにうつくしく飾り立てられているために不可視になっている、「生きる」ことに関する根幹のドロドロした部分、つまり「つち」の部分が、

都心から30分程も私鉄で離れると、駅前に孤独に置き去りにされている。

私鉄という生活と仕事場を結ぶ線の上にライドオンする手前の、駅には、自転車という人々の脚力だったり、自動販売機のように飲んだり、不動産売買のように

住んだりする生きるということがいろいろな形に変形しながら集約されて断片的に置かれているのである。

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かつて山城萱葺で働いていた職人が、茅葺きの難しさとおもしろさ、現場での苦悩や発見をコラムとして綴ってくれました。なかなか言葉で語られることのない茅葺きの世界。ご興味のある方は、のぞいていただければと思います。

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