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エッセイ7「タマとオクタマその1」11

同年の2007年、8月のお盆休みである。

東京の実家に帰ったついでに、急いで鶴川に戻ってきた。

今度は一人で、あの茅葺きの正体を突き止めたかったのである。

自分だけが知っている宝物のありかを見つけるようなワクワクした気持ちである。

駅から降りて夏の暑い日差しの中、鶴川街道を東に進んでいった。

鶴川街道から少し右斜めに下りおそらく鶴川街道の旧道とおもわれる道に入っていった。

すると、目の前に突然茅葺き屋根があらわれた。

 

 3年目の丁稚にも、これはすぐに修復せねばと直感できる程痛んだ茅葺き屋根であった。

入り口には「可喜庵」(かきあん)と記してある。

横には鈴木工務店の事務所があり、お盆休みで閉まっていた。

 

 私はどうしてもここの茅葺きを葺いてみたいと思った。

桐蔭学園の最寄り柿生、「可喜庵」という茅葺き民家、10年隔てた時間が何か茅を通して一つに繋がろうとしている。

私は、後に鈴木工務店の鈴木社長から後に「果たし状」と揶揄されることになる置き手紙をして帰った。

京都の茅葺き職人であること、屋根の修復に関して連絡をお待ちしておりますといった簡単な内容に名刺を添えておいた。

 すると、翌年2009年の春先、ついに「可喜庵」が雨漏りしはじめたと、鈴木工務店の社長から突如連絡があった。

山田親方と二人で、明け方の京都を発ち、一日でできるだけの雨漏りを防いだ。

そして、ついに私が職人として4年目の秋に、鈴木社長は「可喜庵」の屋根をすべて葺き替えるという決断をして頂いた。

2009年10月はじめより着工することになったのである。

 

 「可喜庵」は鈴木社長の生家であり、社長の幼少期およそ50年前に葺き替えを行って以来、一度も葺き替えはおろか補修もしていなかったということであった。

そして茅葺きの職人をどう探したらいいかもわからず、牧山夫妻と同じように瓦葺きに変えようかと思案していた所だったらしいのである。

現在は、改装してイベントスペース、ギャラリースペースとして活用していて、鈴木社長もやはり育った生家の茅葺き屋根をなんとか地域のシンボルとして残したがっていた。

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かつて山城萱葺で働いていた職人が、茅葺きの難しさとおもしろさ、現場での苦悩や発見をコラムとして綴ってくれました。なかなか言葉で語られることのない茅葺きの世界。ご興味のある方は、のぞいていただければと思います。

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