エッセイ6「場所ということ」8
宿は浜松の場合、お寺の住職さんの知り合いでアパートを持っている方から2DKを2部屋借りて生活し、神戸市北区の場合、明石海峡公園の職員さん
の伝で地元の方の空家を一棟丸ごと借りた。
共同生活とは、文字通り寝食をともにすることであり、朝起きて朝食をとってから、ワゴン車で共に揺られて現場に移動して、真夏の日差しのなか、
あるいは小雪が舞う寒空のしたで仕事を一日したあと、宿に戻ると、すぐに風呂の用意をして、同時に夕食の用意をして寝るまで常に共にするということである。
このとき、屋根の上における「親方→兄弟子(アニデシ)→弟弟子(オトウトデシ)→テッタイ(手伝い)」という上下関係の構図は、屋根の下での共同生活
においてもそのまま反映される。
テッタイさんは帰宅後すぐに風呂の用意をして、弟弟子とテッタイを中心にして食事の準備をする。
風呂が焚けたら、食事が出来るまでの間、基本的には親方→兄弟子の順に入浴していき、弟弟子とテッタイは食後、片づけや皿洗いの間に順に入浴する。
真夏の浜松市引佐は、日本の最高気温を記録する天竜地域のすぐそばに位置していた。
気温37度。
屋根の上では照り返しもあり40度を超している。
うだるような暑さの中、休憩前には皆で水を浴びるが、その順番も上下関係が基本的には守られる。
テッタイや弟弟子は忍耐を強いられる。
同時にこの仕事でやっていく覚悟を求められる。
どうやら出張における共同生活は、かつて住み込みで親方のもとに弟子入りした丁稚修行と同じ目的があるようだ。
ただただ浸りきること。
寝ても覚めても屋根葺きそのことしか考えない時期を作ることが、職人としての腕を磨くこと以外に、人間としての成長に繋がるのである。
「掃除をさせたらその人の仕事に向かう姿勢、性格がわかる」
「飯を作らせたらその人の段取りの良さ、思いやりがわかる」(7)
まさにその通りである。
茅葺き屋根の現場は、どうしても茅クズに溢れかえる。
さらに茅を縛っていたポリプロピレン製のヒモが散らばっており、テッタイさんは数種類の茅束を整理しながら、同時に掃除をして紐を集めて現場を
きれいにつとめなければならない。
屋根の下における共同生活での掃除と、屋根の上での現場を掃除することはほとんど相似関係であり、日常生活において効率的に掃除ができないものは、
時間が限られた現場を効率よく掃除することなどできるはずがない。
同時に飯炊きも同じことが言える。
種々の具材をどのように組み合わせて無駄なくするか。
頭のなかで多くのことを同時に考え進める能力が問われる。
これらはすべて生活の延長であり、学校で教わることではない。
この生活と仕事の弁証法的関係とでも言えることが屋根葺きにおいて未だに重要なウェイトを占めている。
共同生活をすることは色々な人間が生活をともにすることである。
心地よく暮らす、ということがどれだけ日中の仕事に反映するか実感できる。
積極的に料理や掃除に参加するものもあれば、なかなか参加しないものもいる。
しかし、そのようなものも段々と参加するようになる。
他人の袖見て我が振りを直しているのだ。
10〜15人の20代から50代の人間が集まれば価値観もモノの見方も全然違う。
それを分からないままに放置せず、相手を理解しようとする思いやりが自然と生まれてくる。
生活をともにすることで、自分の癖や、性格がより分かるようになる。
(7)「藁」宮崎清 法政大学出版局 p281