エッセイ6「場所ということ」7
共に飯を食べて共に寝る。
ひとつ屋根の下で、洗濯から掃除といった仕事とは関係のない家事まで共にすること。
かつて、親方に弟子入りするということは多くの場合住み込みで親方とともに生活をすることであった。
丁稚修行の醍醐味とは生活レベルから親方に学ぶことであり、盗むことであった。
かつては茅葺き職人の場合も住み込みで習うものも少なくなかった。
茅を軸にして「場所」から生まれた「つち」のサイクルに完全に身を浸しきることが重要であった。
その過程で親方の子供の子守りをしなくてはならない。
風呂を用意したり、皿を洗ったり、屋根葺き以外の仕事にも携わらなくてはならない。
いや、むしろ屋根葺き以外なのではなくて、屋根葺きと地続きで家事があり、丁稚の中では両者は手を結んで境界なく混在していた。
屋根さえ葺けてればよいのではなかった。
仕事を終えれば飲もうが遊ぼうが構わないという現代の労働を知っていると、すべてが拘束の様に感じるかもしれない。
だがしかし、飯炊き、掃除を伴った共同生活には人を育てる上での重要な示唆が含まれている。
「場所」との関係性、近代以前の労働のかたち、伝統と近代を考えるとき、この重要性に気づいたのが、丁稚2年目の終わりから、3年目にかけてであった。
この年は出張が多く、2008年12月から翌2009年2月まで神戸市北区で明石海峡公園のにて2棟の茅葺き民家の移築工事があり、
6月から9月まで浜松市の宝林寺本堂約600平米の葺き替えという巨大な屋根の工事があった。
浜松のときは美山茅葺株式会社と共に2業者で仕事を行い、神戸市北区の場合、神戸の「茅葺屋」、山田親方の「山城萱葺屋根工事(現:山城萱葺株式会社)」、飛騨の「飛騨かやぶき」、栃木県に本拠をおく「株式会社茅葺屋根保存協会」の4業者で仕事を行った。
両者とも3ヶ月〜4ヶ月に渡る出張で、10人〜15人程度で共同生活をしながら仕事をしていた。