エッセイ6「場所ということ」6
カリフォルニアのインディアンにしろ、マムシにしろ、かつて「労働」とは、生活と切っても切れない関係にあったのだ。
働くことと、生活することはほとんど同義であり、両者は一体となって溶け込んでいた。
近代以前の労働とは、多くは生態との関係性が自然であり、その関係を維持するような物質的労働であった。
草を刈る。木を切る。火をおこす。土を捏ねる。
生きることとは、住むことと食べることと働くことがほぼ分け隔てなく同義であったし、そしてそれは多くの場合イエの中か、その周りで行われていた。
つまり、近代以前の物質的労働の特徴のもう一点として、「働く」とはイエからあまり遠くない場所で行われるのが普通であった。
農村社会だけではない。
都市生活者にとってもそれはあまり変わらなかった。
都市生活者の多くの職人、たとえば日本では鍛冶、鋳物師、炭焼、絵師、仏師、木工、易筮、西洋でも石工、染物師、皮鞣師、銅細工師、パン焼き、
菓子屋、鉄器商、毛織物商など、彼らの住居は仕事場でもあり店舗でもあった(4)。
手工業は、文字通り手足を通して周辺の生態と色濃く関係する物質的労働であり、その多くは屋内で行われていた。
巨大な仏像や寺社仏閣の建造に携わったり、西洋においても城や教会の建立に置いては、数十人からときには数百人単位で、名士の館や、
国王の城が宿舎となり出張仕事に従事するものもあったが、そうした建築の分野を除いては近代以前の物質的労働とは「場所」において、
住居と密接に関係していたのである。
産業革命がはじまると、工場という労働場のために住居を移す。
あるいは工場主が労働者のために集合住居を用意するという新しい労働の形態がうまれる。
もはや住居と労働は関係のないものになり、日中は工場で働き、夜はイエで体を休め、団欒をとるという近代的な生活が始まる。
この段階では、労働とは、相変わらず体を使った物質的労働力のことであるが、それを家から離れた工場などで差し出し、時間に応じて賃金を得る
という形態に変化している。
だがしかし、情報と知識の絶え間ない交換が多数を占める現代において、もはや非物質的労働が主になってくる。
非物質的労働とは、身体を使用しながらも、その生産の目的が、例えばスポーツやゲームと言った娯楽、幸福感、情熱、趣味を個人的レベルで
充足させるものだったり、健康維持に関する情報を提供することだったり、生産されたものを消費されるよう広告したり、総じてサービスと言われるものなのである(6)。
物質的労働がパンを焼いたり、石を削ったり、木を切ったり、野菜を育てたり、茅を刈ったり、その目的が物質的生産にあったと考えるとき、非物質的労働は
極めて近代的であり、サラリーマン、といわれる多くの労働形態はここに起因する。
一方、「つちからやねに、やねからつちに」含まれる労働は物質的生産を軸にして展開される。
生活のすぐそばに労働があり、労働とは生活の延長であった。
屋根を葺くということも、「場所」から自然に発生した農家の物質的労働の中の一つであった。
(4)「中世の職人」ジョン・ハーウ゛ェー 原書房 p154参照
(6)「帝国」アントニオ・ネグリ マイケル・ハート 以文社p375〜p378参照