エッセイ5「土から屋根に、屋根にから土に」7
21世紀をむかえても、ヨシ場としていまだに「意味」が与えられている。このことが重要なのではないか。
多くの人は一号線の橋からの眺めをヨシ場として認識せずに、河岸の美しい一風景だと思うだろう。
だがしかし、20世紀に橋の上で起こった激変を眺めながら、橋の下では、何も変わらなかったかのようにヨシ原が、今日もヨシ原としてゆらゆらなびいている。
「おやっさん」はいう。
「いままでずーっとやってきたことを、ただいまもやってるだけや」
「おやっさん」に外部からの視点はいらない。
これこそが受け継がれた「歴史」のただ中にいる言説である。
20世紀の思想や哲学は、近代化がもたらした歴史の断絶を嘆いた。
断絶される以前の懐かしい景色は、もはや戻ることのない郷愁としてメディアに流布された。
シェコの村の人々が憧れたように、きらびやかな近代生活を目指して人々は「伝統」を捨て去った。
「伝統」のただ中に生きる人は、それが「伝統」だとは意識しない。
「伝統」や「歴史」とは、一度そこから離れて、振り返ったときに生まれる概念である。
だから、世界的な近代化運動を促す「帝国」の中で、ヨシを刈り続ける「おやっさん」は、意識せずとも、むしろ身体化された次元で「歴史」や「伝統」のなかに
生き続けているのである。
まるで実態のないアメーバのように内から広がっていく「帝国」のなかで、「いままでやってきたことを、ただいまもやること」が、その「帝国」に抗して、
「帝国」そのものを異化する力となるように思えるのだ。
そこにいかなる専門的知識も必要でない。
「いままでやってきたことを、ただいまもやる」という無意識に、身体として「歴史の歯車」になることが重要なのではないかと思えるのだ。
裏付けるように、「いままでずーっとやってきたことを、ただいまもやっているだけ」のヨシ刈りが、実は生物多様性を維持するのに有用であったのだ。
このことは、茅刈りについての広範な体験と知識をもつ塩澤さんに教示して頂いた。
塩澤さんは大学在学中から、神戸市北区にある団地の間を走る幹線道路の斜面にススキが群生していることに着目していた。
ススキが茅だと熟知していた塩澤さんは、そこに茅場としての意味を付与する。
在学中から同士とともに茅刈りをはじめ、卒業後、茅葺きの仕事をする傍ら、ひとりになっても毎年冬になると茅刈りを続けた。
手入れのされない放置された茅場は、荒れた薮として生態学的に「不毛」になっていく。
セイタカアワダチソウが伸び、刈り取られないススキは風に倒され、地面は日も当たらない。
塩澤さんは刈り取りをはじめて2年目にすでに変化に気づいたという。
あきらかに雑草が減ってススキの割合が増えていたのだ。
3〜4年目にはより顕著になり、セイタカアワダチソウはほとんど姿を消してしまった。
刈り取るとすぐに地面が剥き出しになり、冬場にススキに身を寄せていたバッタやトカゲを狙って、モズが飛んでくる。
さらに、刈り取られて日が当たった地面には、春になると美しい小さな花々が咲き始めた。
夏には、緑の海となり、秋から冬には銀色の穂が波打つ。
景観として「美しい」団地の風景に、決定的な変化がおこったのは、人間によるゴミのポイ捨てが減ったということである。
こうして塩澤さんはいう。
「人の手で刈ることで、維持される生態というのもあるんだよ。」