エッセイ5「土から屋根に、屋根にから土に」5
茅葺き屋根とは、複製技術の入る余地のほとんどない手製技術によって支えられている。
茅葺き屋根の素材であるヨシや、ススキという素材は、本来自然そのものがもつ「一回限り」の生起という特徴を有している。
こうした自然の素材はその本来性において複製不可能である。
規格化され、高度に計算され、複雑に組み合わされる複製技術品からすると、自然のものは矛盾だらけである。
こうした一回限り生起する素材は、前述したように、その矛盾を矛盾とすることなくまるごと収めてしまうという「野生の思考」によって支えられていた。
わたしは、丁稚を開始して2年間、その茅葺き屋根の技術の習得に勤しみ、全く屋根の下など見る余裕さえなかった。
しかし、素材の原型が剥き出しとなって葺かれている茅葺き屋根から一度降りて、その茅葺きの素材であるヨシやススキの系譜をたどることで、
文字通り「土から生えている」ことが、シェコの村の経験を踏まえて、現代にとってどれほど重要であるのか気づいたのであった。
そのきっかけを与えてくれたのが「ヨシ刈り」である。
わたしは、丁稚を開始して2年目の冬に、はじめて1シーズンヨシ刈りを体験した。
山田親方のヨシ場は、ひとつが京都府南部を流れる宇治川の河川敷、ふたつめは大阪の淀川河口の汽水域である。
ヨシ場といっても個人の所有地ではない。
毎年国交省の河川事務所に許可をとり、刈り取りをさせてもらっているのである。
実は山田家は元来ヨシ屋であった。
屋根葺き材料としてはもちろん、建具やスダレなどの材料として需要の高かったヨシを売る稼業であった。
山田親方は5代目にあたり、山田家は少なくとも宇治川と淀川で江戸中期以降からヨシを刈り取っていたことになる。
だがしかし、中国産の安いヨシが大量に輸入されようになると、宇治川や淀川のヨシは急速に売れなくなってしまった。
そこで山田親方は、ヨシ場を守るために茅葺き屋根の技術を身につけ、ヨシを屋根葺き材として消費するという決意をしたのである。
はじめて宇治川河川敷に降り立ったときの圧倒的な光景はいまでも忘れない。
4mに伸びたヨシが群生し、一面のヨシ原である。
風にたなびいてあちらこちらでヨシ原が揺れている。
風が視覚化して見えるのだ。