エッセイ4 野生の「しなり」12
茅葺き屋根は茅を介して人間と環境が自然の関係を結んでいた時代の産物であったと考えられる。
この「自然な関係」を肌で実感したのは、わたしが2年目の冬にはじめてヨシ刈りに1シーズン参加してからであった。
山田親方の家系は、もともとヨシを材料として供給する「ヨシ屋」であった。
ヨシは、茅葺き屋根の材料になるだけではない。
すだれ、建具、茶畑の日よけ、紙すきなど、様々な用途があり、近代化以前の日本における建物と土地の「自然な関係」を物語っていた。
だがしかし、戦後、高度経済成長期を迎えて、「自然な関係」は崩れ、安い中国製のすだれが輸入され、ビニール製の日よけが導入され、規格化された
製品としての建具が普及すると、反り、ねじれ、曲がりを包含して全体化する「野生の思考」も衰退する。
ヨシ屋としての山田家の稼業は危機に瀕していた。
山田親方は、その現状から一念発起、ヨシ場を守るべく屋根職人として修行を開始し、ヨシの消費を茅葺き屋根に求めることで、ヨシ場を守っていこうと決意する。
その決意こそ、個人を超えた歴史感覚の自認であり、失われつつある人間と環境の幸福な関係を維持していこうという決意に他ならない。
そして裏返してみると、ヨシ場というこの茅場こそが、人間と環境を自然に結んでいた温床であったともいえる。
もはや現代に生きる多くの人々にとっては、ヨシの群生、ススキの群落をみてもそこに「茅場」としての意味を持ち得ないだろう。
「自然な関係」をもたらす茅場が細々と残っていること、このことは現代においていったい何を意味するのであろうか。
そして、ワラ、茅という草地の利用が、野を知らず知らずのうちに守ってきたのであり、生物の多様性、豊かな自然を生み出していたことを教えられる。
カドから「しなり」という屋根葺きの技術の習得ばかりに集中した2年間が過ぎ、いま「茅場」という、人間と生態の「自然な関係」を産む、意味を付与された場
として考えることで、わたしは、茅葺き屋根のもつ人類学的、民俗学的奥深さに気づいていくのであった。