エッセイ4 野生の「しなり」11
地産地消などと叫ばれるはるか以前から、大工たちは、その土地の材料がよいと知っていた。
価格競争に勝てず、外材にほとんど頼るようになった現在、日本の山々は植林しまくった杉と檜が荒れるがままになって、花粉をまきちらしながら、
ますます山の手入れが難しくなるという悪循環に陥る。
その結果、場所に根の生えていない、どう見えるかだけに着目したような消費物としての建物が生まれる。
そこに「自然素材」を使いました、という謳い文句だけでは、とても自然な建物とは呼べない。
なるほど自然素材をつかった建物はいくらでも可能である。
外材を使用する、コンクリートを使用する、茅を使用する、実は自然素材か否かという線引きは非常に曖昧なのである。
コンクリートも砂と砂利と鉄、セメント(主原料は石灰)を混ぜて枠で固まったものなので、素材の系譜という意味においては自然素材ともいえる。
プラスチックなどの石油製品にしたって、もともとはある種の生物が姿が悠久のときを経て形をかえ、石油となった物質が原料である。
素材の系譜をたどっていくと、そこには何かしらオーガニックなものにたどり着いてしまう。
素材の系譜における自然と人工の線は実に曖昧である。
ある建物が、「自然である」というとき、どのような状態を指すのであろう。
それはその建物の存在と、その建物が幸福な自然な関係を結んでいるときに表現できるという。
この点、前述の指摘通り、日本の大工は建物を介して人間と環境との「自然な関係」を表現していた。
身体化された全体性として、人間と環境と建物が不可分であることを、「野生の思考」を通して表現していた。
そしてかつて、こうした幸福な関係が、茅葺き屋根の維持を可能にもしていた。
田んぼから稲が刈られ、米が収穫された後は、稲木干しにかけられ、その後ワラとして利用された。
ワラ縄が綯われ、装身具として簑、草履、笠などに編まれていった。
冬期の縄綯いは、農閑期の家族の仕事として子供たちがまず覚えるべき仕事で、結束材として屋根の下地に結われる。
さらにワラは、注連縄によって空間的な禁忌表現がされ、ワラ馬、ワラ神輿、ワラ人形など、各地の精神文化とも強く結びついていた。
こうした生きた全体が「野生の思考」を生んでいた。
もちろん、それは理論化されない。
叙述化されない。
マムシは言う。
「・・・・・・単純なことだよ。ひいじいちゃんも同じこと、じいちゃんも同じこと、父も同じこと、だから僕も同じようなことをしているんだ。」
文字としての記録の遥か以前に身体に刻まれた「これがただしいといある実感」として口頭によって、伝え、受け継がれていた。