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エッセイ:エチオピア2

一元的な価値の拡張という運動を内在化した近代化運動、その運動の拡張を支える物流網と情報網、それがとどのつまりグローバリゼーションである。

私はそのグローバリゼーションがいまだ及んでいない「純粋な」場所にいってみたかったのだ。

グローバリゼーションは間もなく完遂する。文化人類学は50年で消滅するといわれていた。

「純粋な」場所が消滅してしまうその前にいちはやくたどり着きたかったのだ。

いや行ってみるだけでなく、生活し、ともに暮らしてみたかったのだ。もっと言えば、彼らとともにいちど私は「裸に」なりたかったのだ。

「グローバリゼーションが及んでいないところ?そんなところはもうないよ」と友人から冷笑されたし、「わざわざそんな危険なところにいくなんて」と、両親から心配された。

しかし、25才の青年人類学徒はここにきたかったのだ。

私はいまひとつ裸になってみたかったのだ。自分の身体の中に重なったものを見直し、中身を確認し、リセットしてみたかったのだ。

その想いを遂げに来たのである。

 

ガスも水道も電気もない村は、生活のすべてが身の回りの生態に依拠している。

朝はまず沢の水汲みから始まる。

コーヒーアラビカ種の原産地であるエチオピアの西南部には、豊かな森林地帯が広がり天然のコーヒーの木が点在する。

とくに西南部はカファ地方とも呼ばれ、「コーヒー」の語源にもなっているとされる。

雨期の初めに白い鼻をさかせ、やがて赤く熟した実をつける。この実の種子がコーヒー豆だ。

天日で干して、炭火を炊いて鉄板の上で煎り、それを砕いて細粒状にしてからお湯で煮だす。

なんともまろやかな味わいである。さきほど汲んできた水はこのコーヒーを湧かすためである。

円形の草葺き屋根の家々から、煎りだしたコーヒー豆の香ばしい煙が立ち上っていく。朝モヤに混じって幻想的な風景だ。

午前中は子供たちの相手をするのがもっともよい。

エチオピアの公用語アムハラ語をある程度習得していた私は、アムハラ語を通じて彼らの言葉を尋ねていく。

子供たちは格好の語学教師である。我先にとシェコ族の言葉を教えてくれる。日本人はおろか外国人もはじめて見る子供たちである。

最初は疑念が宿っていた目にもすぐに輝きが戻り、日本のことをたくさん知りたがる。

彼らの歌や踊りも教えてくれる。日本の歌も知りたがる。

歌って踊ってまずは身体を通してコミュニケーションを通すことがもっとも有効だ。

 

そうして、わたしはマムシという13才の少年と仲良くなった。

マムシは少年たちの中でも、特に鶏を上手にナイフで捌く。

幼少期からナイフの使い方を学び、兄弟や、年長者から教え込まれたそうだ。

マムシだけではない。シェコの村では、4、5才で持ち始めたナイフは不器用でも1年もすれば立派に一人前だ。

生きた鶏を解体するということは、ブラックボックスとして生きた全体であった鶏の内部構造を確かめ、食べられるものとそうでないものに仕分けるということだ。

仕分ける、分類するという行為自体、実はきわめて科学的な行為である。

シェコの村では、この仕分けは、ある絶対的な価値体系に基づき判断される。

鶏だけではない、シェコの村の周囲において、食べられるものと、食べられないものの線引きが絶対的なのだ。

さらに、食べ物だけではない。生活一般において、禁忌されるべきこと、礼儀に該当することなど行動様式まで、ほとんどすべてが明白に線引きされる。

つまり、シェコのような村では、善と悪、要と不要など私たちの社会では相対的だと思われる価値は、体験的に受け継がれた歴史をもとに「絶対的」なのだ。

鶏を捌くとき、教え込むマムシの言説が象徴的である。

彼ら自身が幼少時代に繰り返され、覚えこまされた言説を、そのまま年少者に伝えているのだ。

その口調は、彼自身の体験だけでなく、先祖代々受け継がれて来た歴史を負っているという自負に満ちている。

鶏の捌きを一例として、文字も持たない社会では、このように口頭伝承のブ厚い重なりが歴史という書物を形成している。

しかし、実際には書物がある訳ではない。それはシェコの人々の身体の中に備わっているのだ。

マムシの鶏のナイフ捌きとそれを年少者に教える伝承をみて、文字でもなく書物でもなく、身体を通して歴史が積み重なっていると感じた。

わたしはこれこそが「身体化された歴史」だと感じたのだ。

いや、むしろマムシの中に「歴史化された身体」が宿っているとも言える。

マムシが生きた13年間より、もっと長い時間、何世代も経てようやく獲得されるようなナイフの身体技法や、栄養学的知識を身体の中に蓄えているのだ。

栄養になるか、ならないかという判断基準は、先人たちの無数の「味見」によってなりたっているのだ。

受け継がれた実験結果をマムシは次の世代に、口頭で伝えていく。

その社会で生きることは、その社会の歴史の積み重なりを、身体を通して学んでいくことに他ならない。

このような口頭伝承は、後年出会う茅葺きにも通じていたのだ。

生きた人間によって歴史が伝えられるということは、文字で伝えた場合のように、過去に歴史が固定されず、つねに歴史が現在に集約され、解釈されているという特徴をもっているのだ。

 

私の半分にも満たない子供たちがもう立派に生きる術を身につけている。

ただ傍観するしかない私に、得意げに森で狩りをした獲物を見せつけてくる。

私は彼らに対する感嘆と、自分自身に対する無力感の、なんとも二律背反の感覚に襲われていた。

こうして子供たちと遊びを通じてコミュニケーションを積んでいくうちに、自然と大人たちとも接する機会が増えていく。

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↑左:マムシ少年 右:友人のマルシャ

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かつて山城萱葺で働いていた職人が、茅葺きの難しさとおもしろさ、現場での苦悩や発見をコラムとして綴ってくれました。なかなか言葉で語られることのない茅葺きの世界。ご興味のある方は、のぞいていただければと思います。

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