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エッセイ5「土から屋根に、屋根にから土に」14

そう。

淀川のヨシ場はほとんど泥炭地であるため、機械で刈ることがほとんどできない。

そのため、長靴にカマを携えて、ひたすら手狩りをするしかない。

2週間を越える頃には、毎日腰痛に悩まされはじめ、肩こりも加わり、全身筋肉痛の毎日であった。

加えて、淀川に打ち捨てられたゴミがヨシ場にひっかかって、ペットボトル、タイヤ、発泡スチロール、空き缶、鉄くずなどが大量に散乱しており、ときに悪臭を放っている。

日光に反射した「輝かしい」梅田のビル群が吐き出した排泄物がヨシ場に引っかかっているようではないか。

月の暦で、手狩りで、ゴミまじりの泥炭地でヨシを刈るということの重労働は、梅田のビル群にとって何を意味するのであろうか。

工場のライン作業にのって次々に生産される複製品を思い浮かべたとき、わたしは「つちから生えた」ヨシが、こんなにも人の気苦労を含んでいることをはじめて理解した。

そして、「生きるために」刈っているヨシが、どれほど大変な作業であるか現実をかいま見た瞬間であった。

 

同時に、人類がこぞって複製品を合理的に組み合わせ生産する体制を選択していったのか、すこし理解したような気がした。

「生きるために」過酷な重労働をしなくてはならない。

もしそれが少しでも楽になるのであれば、もし何かしらの知恵によって重荷を軽減できるのであれば、人類はみなそちらの方を選択するであろう。

そう、草原という美しい風景には過酷な労働が待ち受けている。

わたしは考え直した。

もはや映画や広告が称揚するような表面的な美しい光景だけをみて「あそこかえろう」などとはいえない。

 

「近代以前の質素な生活は、精神的に豊かなものであった。

などと思い込むのは簡単だが、実際はそんな空間に迷い込んだとしたら、消費ズレした肉体は三日で拒否反応を露わにするであろう。

弛みきった筋肉も、突き出した脂肪おも納得させられる豊かさでなければ、未来を招聘する価値にはなり得ないのだ。」(10)

ということである。「いま・ここ」を生きる私たちにとって、「むかしに戻れ」とか、「近代以前を賛美」など叫ぶことは、、ユートピア幻想にかられているのと同じことであり、絵空事を述べているに過ぎない。

 

わたしは再び2008年4月に京都市右京区北川家の茅葺き屋根の仕事に戻った。

「つちからやねに、やねからつちに」。

実際、屋根に戻ったわたしは、自分の刈ったヨシを葺く機会に初めて恵まれた。

以前葺いていたヨシとは扱いがまるで違う自分に気づいた。

あの重労働をしたヨシである。

なるべく無駄にならないように使おうと材料を大切にするようになったのである。

現場で使われずに落ちた数本のヨシも気になるようになってきた。

そして、茅葺き屋根を維持するということの内には、茅を集めるという人の営みの重みが、屋根の重み以上に含まれているのだと気づかされた。

「つちからやねに、やねからつちに」というサイクルの一端をヨシ刈りを通じて経験できたことは、私が生きたおよそ30年間より遥かに大きなサイクルに身を浸したことであり、

複製品に囲まれた現代の日常生活を遥かに越えて、それは歴史がいまだに歴史として機能している一例に身を預けたことでもある。

その喜びは、茅葺き屋根の技術を学ぶこと以上に、わたしの心を充足させるものであった。

 

(10) 「いえづくりしながら考えたこと。」縄 文人 エクスナリッジ p159

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かつて山城萱葺で働いていた職人が、茅葺きの難しさとおもしろさ、現場での苦悩や発見をコラムとして綴ってくれました。なかなか言葉で語られることのない茅葺きの世界。ご興味のある方は、のぞいていただければと思います。

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