エッセイ8「タマとオクタマその2」23

 屋根がないということは、「ファサード」つまり家の正面性が重要になってくる、そして屋根に交代して壁が意味の強度を増してくるのである。

京都の町家を見てみれば一目瞭然である。

正面の壁は土壁であったり、格子窓であったり、その装飾が強調されているのに対して、家と家が接近する側面の壁は、廉価なトタンや、

新しい建築においてさえ安価なボードが貼付けられている。

マンションや高層建築にいたっては、壁に貼付けられているタイルで、フランス風だとか、イタリア風だとか名乗っている。

 

 可喜庵の周囲にできた新しい住宅群をみていると、地域とか伝統とかいう重々しい意味から解放された軽快で明るい家である。

そういう意味で一棟一棟が独立し、自立しているように写る。

土地や家屋が個人所有され、欧州の様に古い建築であれ、新しい建築であれ、配列の秩序によって風景をコントロールする主体のない日本では、

土地所有の制度と重なり合いながら、現在の東京という雑然とした風景は、人々の中にある地域や歴史といった肩が凝るような重荷から

解放されたいという志向性がもたらしているのだと、屋根がないことから皮肉にも逆照射されるのであった。

 

 アムハラ語の「バハル」とは、歴史、地域、伝統を含んだ一語であった。

マムシを含めて、シェコの村の人々は伝統や、地域は、無条件に賞賛されるべきものではなく、むしろ自分たちに巣食う足枷のようなものに感じていた。

10代の女の子はラジオの向こうから流れてくる「きらびやかな世界」に憧れをもっていた。

日本でも、きっと同じであったに違いない。

養蚕から見た茅葺き民家の変遷を顧みると、たとえ100年前の日本においても地域性や歴史性は人々にとって重荷あったことが伺える。

養蚕で現金収入をしたとたんに、茅無尽といった無償労働交換をやめて、遠くから茅葺き職人を呼んでいた。

農村のだれもが現金収入を得ると地域から脱して、古くさい伝統から逃れて、自由に生きたがっていた。

その極北の形式として、フラットルーフに表象されるように、地域との接続を切り、伝統から解放されて、歴史から自由になるのである。

 

こうした足下の軽い、フットワークを良くした生き方が現代の人々に好まれている。

フラットルーフは、人々の生きる上での心の表象だともいえるのである。

 

 だが果たして、このままでよいのだろいうか?

屋根の終わり=歴史の終わりであることをこのまま放置してよいのだろうか?

こうした屋根の形骸化に危機感を感じるとともに次の時代に出来る茅を用いた屋根表現をすることはできないだろうか?

後年、わたしが「茅の庇(ひさし)」を製作するにいたる意識の源流が多摩と奥多摩にあったと思われるのである。