エッセイ8「タマとオクタマその2」13

関西の農村でも同じようなことがあったに違いない。

かやぶきの里美山は、現在こそ南丹市美山町とう行政区だが、合併前は京都府北桑田郡美山町であった。

美山茅葺株式会社社長の中野誠氏の父親は述懐する様に「おれあ小さい頃な、夜になって布団に入ると、屋根裏からむしゃむしゃと蚕が

桑の葉をたべる音が聞こえてきて、気味悪かったもんやあ。」と語ってくれたことがある。

採光、通風を優先した大きな破風板のついた入母屋形式、そして、少しでも屋根裏空間を広く取るための急勾配の屋根、北丹波型の屋根形式は

どのようにして成立したのか諸々議論されてきた。

しかし、上記のことを鑑みると、これはまさに養蚕のための屋根形式ではないかと思えるのである。

北関東では、明治後期まで主流だった民家を養蚕のために改造する「温暖育」時代に見られる形式である。

現在、かやぶきの里として集落保存されているが、特徴的である大きな破風板、50°近い急勾配は養蚕のための屋根形式であったと推測されはしないか。

1950年代まで養蚕、炭焼きなどが主要な産業であった美山の北集落は最も古いもので1796年、多くは江戸時代後期に建てられているが、

私はこのような農地が充分に確保できない山間の集落では、養蚕というキーワードを通して屋根の形式が謎解きされていくように思われるのである。